小さい頃はわりとシャイな方でした。シャイというか、無愛想というか・・・。親戚のおじさんのヒゲが怖かったことを覚えています。
保育園の頃、よく「一匹狼」といわれていました。
中学校までは、勉強はわりとよくできる方でした。あくまで「子供/人口8,000人の町」の中での話ですが・・・。
自己紹介の概略の中にも書きましたが、母親がピアノ教師なので物心ついた頃には既にピアノを習っていました。
後から母に聞いたところによると、2~3歳のころから勝手にピアノをさわりはじめたんだそうです。ちなみに初舞台は3歳?、たしか「秋の風」。今でも弾けます(笑)。
多治見北高校というところに、自宅から片道1時間半かけて通っていました。
朝は5時半起き、それでもバスケ部に所属して毎日ヘトヘトになるまで練習してました。
よく過呼吸で倒れてましたが、引退する頃にはスポーツテスト1級、1km走で学年女子5位以内に入ってたはず。。
音楽少女っていうよりスポーツウーマンでした。
ちなみに得意科目は5教科以外(笑)。
5教科のうち強いて言えば英語が得意っちゃあ得意でしたが、学校ではせいぜい中の上くらいでした。あとは・・・化学が特に苦手でしたが、まぁご想像にお任せします。
バンドを組んでたりもしました。もちろんコピーバンドです。誘われるがまま、「うん、何でもいいよ~。」という乗りで始めた記憶が・・・というわけでみずきはドラム。
みずきの音楽の趣味はあまり一般的じゃなかった(というか極端に偏ってた)ので、バンドで何をどんな風にやるかはメンバーのお任せでした。
関西外国語大学外国語学部英米語学科卒業。
学校の推薦留学プログラムで、3回生の時ウィスコンシン大学オクレア校に留学してました。
この時は何故かテニスサークル所属。よくある「名ばかりの・・・」っていうんではなくて、かなり真剣にテニスやってました。
練習もサボらずに行ってたし、学内や関西地区の大会は出れるだけ出た(まぁ勝ったかどうかは別として(笑))。
普通4回生になるとみんな引退を待たずしてサークルに行かなくなるんですが、あまりにテニスが好きだったために、サークルでは飽き足らず大学のテニスの授業までとってやってました。
留学をする生徒は帰ったとき向こうで取った単位を読み替えれば卒業できるようにしなきゃならなかったので(後で楽したかったので2回生で取れる限りの単位は全部取ってましたが)、4回生で帰国してからはテニスとバイトをした記憶しかほとんどありません。
バイトは結構いろいろやりました。無国籍料理屋、事務、塾の講師、すしの配達、TSUTAYA、MO(フロッピーディスクのでかいやつみたいなの)ドライブやデジカメのデモンストレーターなどなど。
留学をする前後に見た「アップウィズピープル」のショーに感銘を受けて、卒業したら参加をすると決めていたので就職活動は全くしませんでした(本当は、休学して行きたかったんだけど。。。その辺はまぁいろいろありました)。
予定どおりアップウィズピープルのプログラムに参加して、1年間で8カ国71都市をまわり、106のショーをやりました。
まずデンバーに500人くらいの若者が大集合してステージング(いわゆるリハーサル)をやり、この間にソロを歌う人やメインダンサーなどが選ばれる。
そのあと3つのキャスト(各キャスト150人くらい)に分かれて世界各地を転々とします。うちのキャストは20カ国くらいから参加者が集まってました。
アップウィズピープルは国際交流・国際教育を目的としたNPOで、ミュージカル・コミュニティーサービス・ホーステイなどが主な活動なんですが、今は「ワールドスマートプログラム」という名前でちょこっと内容が変わっています(興味のある方はホームページを見てみてください)。
ここではショーのオープニング曲含むソロを数曲と、全体を通してマイクグループ(ハモり隊)で歌ってました。
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